データでみる阪神・淡路大震災

阪神・淡路大震災の記憶は風化したか

平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から今年で25年を数えますが、その経験と記憶は風化しているのではないでしょうか。

既に神戸市に住む市民の4割以上は、震災を経験していない。

2013年に阪神・淡路大震災を経験していない神戸市民は40%を超えたとされ、2021年には、50%を超えると言われています。(神戸新聞社調べ)
これは、ちょっと驚くべきデータですが、記憶が風化するのも仕方がないレベルになってきたという事かもしれません。
そこで、その風化が少しでも止まればと、あらためて阪神・淡路大震災をいくつかの切り口でみていきたいと思います。

阪神・淡路大震災のイメージ

当時、マスコミが繰り返し報道していたのは、



●安全神話の崩壊・・・阪神高速道路の倒壊
●自治体消防力の不足・一面に広がる大火災
●遅れた出動要請・・・遅すぎる自衛隊出動
●災害時医療の不備・・停電と混乱する病院 等々
これらの情報は当時、散々頭に刷り込まれました。
しかし、本当の情報や教訓はこれだけではありませんでした。

直後に繰り返し報道されたこと

●被災地支援の重要性
●官邸に緊急対策室、全国の自治体に震度計を設置
●復興の道のりの厳しさ
●仮説住宅・震災復興住宅の建設、被災者支援法の制定、施行
●なぜ地震予知ができなかったのか、地震学者への批判とバッシングが巻き起こった

あまり報道されなかったこと

●死亡者の80%以上が圧死
●建物の倒壊からおよそ15分以内に死亡していた
●被害は貧困層に集中
●昭和56年以前建築の住宅に被害が集中していた
●住宅の倒壊が原因で人が死に、続いて火災が起こる

死者の80%以上が圧死だった

上の円グラフが示すように、死者の80%は建物の崩壊や家具の下敷きなどにより、震災発生からわずか15分以内に死亡していたことが分かっています。
その内、火災による死者は12%で、かなりの人が倒壊家屋の下敷きで逃げ遅れた結果、焼死されたと考えられます。
当時、死者が多かった原因は自衛隊の出動の遅れでも、災害時医療の不備でもなく、自治体の消防力の問題でもなく、家屋の倒壊と出火が防げなかったという問題なのです。

死者数と火災発生数

上のグラフでは、神戸市東灘区の死者数と火災発生数が最も多いことが分かります。
あれ? 当時、長田区の火災はしょっちゅう放送されていて、神戸市内でも火災も死者も一番多い印象があったけど...実は東灘区と長田区が一番多かったというのが、現実です。
ただし、人口10万あたりという条件を付帯すると、長田区の火災発生件数が一番多かったということになります。

1月17日以降の救出者数と死者数の推移

当時から72時間の壁と言われましたが、3日目を過ぎると救出者のうち、生存者が極端に少なくなっているのが分かります。

年代別死亡者数

年代別の死者数は高齢者と若者が多い。
特に、阪神間は大学も多く、家賃の安い古くて耐震性の低い家に住んでいたのが原因と言えます。
なお、全体的に男性に比べ、女性の死者数が多い傾向にあります。これは、東日本大震災においても同様です。

結論として

自治体の消防力を高めることも大切ですが、限界があります。
要は、家屋の倒壊→火災の発生への進行を断ち切ることが重要です。
まずは、倒壊しにくい家屋を増やすこと、耐震性の高い家を増やすことが重要だということです。